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最高裁判所第二小法廷 昭和60年(オ)1145号 判決 1988年7月01日

上告人

平田栄之

右訴訟代理人弁護士

出宮靖二郎

被上告人

ギオン自動車株式会社

右代表者代表取締役

仲辻昭三

右訴訟代理人弁護士

坂本正寿

谷本俊一

主文

上告人の被上告人に対する本訴請求にかかる求償請求のうち金二四万一四五六円及びこれに対する昭和五八年九月二五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払を求める請求を棄却した部分につき、原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。

被上告人は上告人に対し、金二四万一四五六円及びこれに対する昭和五八年九月二五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟の総費用は、これを五分し、その四を被上告人の、その余を上告人の負担とする。

理由

上告代理人出宮靖二郎の上告理由について

一原審の確定した事実関係は、おおむね、次の1ないし3のとおりである。

1  昭和五八年三月二六日午前八時五分頃、上告人は、普通乗用自動車を運転して京都市内の烏丸通を時速約五〇キロメートルで南進中、丸太町通との交差点(変形交差点であるため、南行車両は、ハンドルをいつたん左に切り、交差点中央部で右に切つて走行する必要がある。)にさしかかつた際、被上告人の被用者(タクシー運転手)である訴外李基洪の運転するタクシー(普通乗用自動車)が同交差点内の対向車線側の右折車線上を進行してくるのを発見したが、李運転車両は交差点中央部の停止線付近で停止するものと考え、青色信号に従いそのまま同交差点に進入し、いつたんハンドルを左に切つた後交差点中央部付近でこれを右に切つて同一速度で進行しようとした瞬間、前記停止線のやや東側付近において右折進行してきた李運転車両の右前部が上告人運転車両の右側後部に衝突し、その衝撃により上告人はハンドルを右へ取られ、急制動の措置をとつたものの、上告人運転車両は対向車線上に進出したため、烏丸通を北進中の訴外山下正則運転の普通乗用自動車の前部に接触し、次いで訴外岩上一雄運転の普通乗用自動車の右後部に接触し、更に、訴外松下美恵子運転の原動機付自転車に急制動を余儀なくさせてこれを路上に転倒させた。

2  本件事故は、李において、交差点で右折するに際し、前方から直進してくる上告人運転車両の動静を十分確認しないまま漫然と右折進行した過失と、上告人において、右折進行してくる李運転車両の動静を十分確認しないまま漫然と同一速度で同一進路を進行した過失とによつて発生したものであり、その過失割合は、上告人二割、李八割とするのが相当である。

3  右事故により、右山下、岩上及び松下所有の各車両が破損し、いずれも車両の修理代(山下については移動レッカー代を含む。)として、山下は一六万六一二〇円を、岩上は一三万二〇〇〇円を、松下は三七〇〇円をそれぞれ支出して同額の損害を被つたため、上告人は、昭和五八年五月一三日までに、山下ら三名に対し、右合計三〇万一八二〇円を損害賠償として支払つた。

二本件訴訟における上告人の被上告人に対する本訴請求中、上告人が右山下ら三名に損害賠償として支払つた額についての求償請求は、上告人と李及び被上告人は本件事故に関し山下ら三名の被害者に対し共同不法行為者の関係にあるが、上告人と李との過失割合は零対一〇割であるから、上告人は李の使用者である被上告人に対し、上告人が右山下ら三名に支払つた三〇万一八二〇円全額につき求償することができると主張して、その支払を求めものである。

原審は、前記の事実関係を確定したうえ、被用者(李)と第三者(上告人)の共同過失により惹起された交通事故の被害者に対しては、使用者(被上告人)及び被用者(李)と第三者(上告人)は、各自その損害を賠償すべき責任を負い、右三者のうち一人が賠償をなしたときは、その者は他の二者に対し求償できる関係にあり、この場合の各自の負担部分はその過失割合に従つて定められるべきところ、右使用者の責任は、その故意又は過失を理由とするものではなく、民法七一五条に定められたものであり、本件においては、被上告人において本件事故につき過失が存したとか、あるいは使用者として被用者李の過失につき原因を与えていたような事実の主張立証はないのであるから、右三者の過失の割合は、上告人二割、李八割と認める以上に、被上告人の過失割合を認める余地はなく、その過失割合は零というほかなく、したがつて被上告人の負担部分は存しないから、上告人は、李に対してはともかく、被上告人に対しては求償することができないと判示して、上告人の被上告人に対する求償請求を全部棄却した第一審判決を維持し、上告人の控訴を棄却した。

三しかしながら、原審の右判断は、是認することができない。

被用者がその使用者の事業の執行につき第三者との共同の不法行為により他人に損害を加えた場合において、右第三者が自己と被用者との過失割合に従つて定められるべき自己の負担部分を超えて被害者に損害を賠償したときは、右第三者は、被用者の負担部分について使用者に対し求償することができるものと解するのが相当である。けだし、使用者の損害賠償責任を定める民法七一五条一項の規定は、主として、使用者が被用者の活動によつて利益をあげる関係にあることに着目し、利益の存するところに損失をも帰せしめるとの見地から、被用者が使用者の事業活動を行うにつき他人に損害を加えた場合には、使用者も被用者と同じ内容の責任を負うべきものとしたものであつて、このような規定の趣旨に照らせば、被用者が使用者の事業の執行につき第三者との共同の不法行為により他人に損害を加えた場合には、使用者と被用者とは一体をなすものとみて、右第三者との関係においても、使用者は被用者と同じ内容の責任を負うべきものと解すべきであるからである。

これを本件についてみるに、原審の確定したところによれば、本件交通事故は、上告人と被上告人の被用者である李との共同の不法行為に該当し、その過失割合は上告人二割、李八割とするのが相当であるところ、上告人は、被害者である山下ら三名に対し自己の負担部分を超えてその全損害の三〇万一八二〇円を賠償したというのであつて、かかる事実関係のもとにおいては、右に説示したところに照らし、上告人は、山下ら三名に賠償した右三〇万一八二〇円のうち、自己の負担部分である六万〇三六四円(二割相当額)を超える二四万一四五六円(八割相当額)につき、李の使用者である被上告人に対し求償することができるものというべきである。

したがつて、以上と異なる見解に立つて上告人の被上告人に対する本訴請求にかかる求償請求を全部棄却した原審の判断は、不法行為に関する法令の解釈適用を誤つた違法があるというべきであり、右違法が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点をいう論旨は理由があり、右求償請求のうち二四万一四五六円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五八年九月二五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払を求める請求を棄却した部分につき、原判決は破棄を免れず、そして、原審の適法に確定した右事実関係によれば、右求償請求は右部分の限度で認容すべきものである。

四よつて、本訴請求にかかる求償請求のうち上告人が本件上告において不服申立の範囲としている二四万一四五六円及びこれに対する昭和五八年九月二五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払を求める請求を棄却した部分につき、原判決を破棄し、第一審判決を取り消したうえ、右部分の請求を認容することとし、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条、九二条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官香川保一 裁判官牧圭次 裁判官島谷六郎 裁判官藤島昭 裁判官奧野久之)

上告代理人出宮靖二郎の上告理由

一、原判決は、上告人の被上告人に対する求償請求につき、第一審判決同様、上告人・訴外李基洪・被上告人の各過失割合は二割・八割・零(以下〇と表示する)であるから、この三者間では被上告人が負担すべき部分はないと判断し、訴外李の使用者である被上告人の使用者責任については、使用者を被用者と同一体と見做すべき根拠も見出し難く、求償の対象となりうる使用者の過失すなわち負担部分の認められない以上、使用者に対する求償権の行使を認めることは相当でない、として上告人の主張を採用しなかつた。

しかしながら、原判決の右判断は、以下に述べるように、理由に著しい齟齬がある上、民法第七一五条の解釈を誤まるものであり、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、その範囲において原判決は破棄せらるべきである。

二、原判決は、使用者責任は、その故意又は過失を理由とするものではなく、民法第七一五条に定められたものであるとしながら、被上告人において本件事故につき過失が存したとか、或いは使用者として被用者李の過失につき原因を与えていたような場合でない限り、被上告人の過失割合はないから、求償の対象となる使用者の過失すなわち負担部分が認められない以上、使用者に対する求償権の行使を認めることはできない、としている。全く論理に矛盾のある奇妙な判断であると言わざるを得ない。

民法第七一五条一項但書により、使用者が被用者の選任監督について過失のなかつたことを立証すれば免責されるけれど、同条一項本文の使用者責任を追及するに当たつては、使用者に事故に関する故意・過失の存することを全く必要としない。原判決もこの基本原則を理解していながら、求償請求に当たつては、これを例外的に考えているのか、或いは、民法第七一五条の適用そのものを除外して考えているのか、使用者自身に過失のある場合とか被用者の過失に原因を与えたような場合でない限り使用者に対する求償は認められないとしているのである。しかし、求償請求に関してはなぜ同法の適用が除外されたり使用者責任の内容が変貌するのかについては、原判決は全く触れておらず、このように明確な論理的経過なしに、民法第七一五条の基本原則と明らかに相違する結論を判断理由としている原判決には、著しい理由の齟齬があると言わざるを得ないし、また、同法を適用して使用者責任を認めなかつたこと自体、明らかに法令に違背するものと考えざるを得ないのである。

原判決は、民法第七一五条の解釈を過つて、同条の使用者責任と民法第七一九条一項前段の狭義の共同不法行為による責任を同一面で捉え、使用者・被用者の関係にある被上告人・訴外李とこれに対立する上告人との関係を平面的に三者間の過失割合として把握しようとしたが、そこに根本的な過ちがある。第一審判決は、民法第七一五条三項により使用者が被用者に求償しうることを根拠に、究極的には直接の不法行為者である上告人と訴外李が分担負担すべきであるとし、被上告人の負担部分は○であるとした。原判決は、第一審判決のような究極的負担割合ではなく、事故に対する過失の割合にしたがつて各自の負担部分が定められるべきである、としている。しかし、これらはいずれも、いわゆる共同不法行為における責任競合の態様と性質を正確に理解していないことからくる不当な判断である。

民法第七一九条一項前段のいわゆる狭義の共同不法行為は、数人の行為が共同することによつて、つまりこれを交通事故においていえば、原因寄与の単位としての異なる車両圏・行為圏にわたる複数の原因寄与が直接関連・結合されて損害を発生させた場合に、その原因寄与の圏を異にする主体間に連帯責任を負わせるものである。これに対して、事故発生に対する原因寄与の一個の単位としてみられる車両圏・行為圏の内部で、その一つの原因寄与についてそれぞれ違つた責任の根拠から競合を生ずるのは、共同不法行為そのものではなく、責任の共同・関連も右の共同不法行為とはその性質を異にするものである。前者をいわゆる横の責任競合とすれば、後者は縦の責任競合ということができる

そして、共同不法行為による全部義務負担は被害者救済という政策的見地を根拠とするものであるが、最終的な社会的解決の公正を計るために、負担部分に応じた加害者側の責任分配の調整が行われなければならない。ここで求償権の行使がなされるのであるが、横の競合においても、縦の競合においても、被害者保護の見地から全部義務という効果面には差異はないものの、横の責任競合がもともと原因寄与の割合に応じて可分な債務の複合であつたのと異なり、縦の競合は全く異なる法的根拠からそれぞれ損害との全部的な因果関係が認められる本来の全部義務であり、その法的性質は異質のものである。(交通判例研究会編集 判例交通事故損害賠償法参照)

このような、法的性質の異なる求償関係にある上告人・訴外李・被上告人間の求償につき、三者を平面的に並べて、その負担部分を二対八対〇であると論ずること自体が間違つているのである。被上告人の関係は、上告人と訴外李が二対八で負担する不法行為責任につき、被上告人が使用者として訴外李の賠償責任を補完するといつた特別な関係なのであつて、その外部にある上告人から行われる求償の段階ではこれらは一体となつてその負担部分につき連帯責任を負うものと解すべきである。(福岡地裁昭和五〇年一〇月三〇日判決参照)

原審において上告人が本件事案と対蹠的な事例として指摘した昭和四一年一一月一八日最高裁判所判決は、自己の被用者である加害者Aと共同不法行為者Bの過失割合にしたがつて定められるべきBの負担部分について求償権を行使することができると解しているが、その論理の根底では全損害を賠償したAの使用者とA本人を右のような特別な関係とみて、これらを一個の単位としてBに対応させているのであつて、一〇分の二の負担義務を有する者(内部的には最終的にAに求償できるとしても)として一〇分の八の負担義務者に求償しているものであり、A・Aの使用者・Bの各負担部分を二対〇対八と並列的に捉え、負担義務○の者から負担義務一〇分の八の者へ求償しているものではないと解すべきである。右判決の事例においてはBの使用者はいないが、仮にBに使用者がいたと仮定した場合、やはり、一〇分の二の負担義務を有するAの使用者から一〇分の八の負担義務を有するBの使用者への求償請求が当然容認されたであろうと考えられるのである。原判決の見解では、A・Aの使用者・B・Bの使用者の負担割合は二対〇対八対〇であるから、全額弁済したAの使用者はBに対しては八割相当の求償ができるが、Bの使用者に対しては全然求償できないことになる。Aの使用者もBの使用者も同じように被害者に対しては全部義務を負担しているが、そのいずれかが被害者からの請求に応じて支払をしてしまうと、相手方の使用者に対しては全然求償ができないという結果になる。このような場合、原判決は、被使用者が無資力であるために不公平な結果(原判決は『一見不公平の感があるけれども』と表現しているが、単に不公平の感があるに過ぎないというものではなく、実際に不公平な結果となつているのである)となつても止むを得ないと考えているようであるが、これでは、相手方被用者の過失が極めて大きい事案等では、被害者に対する賠償をしてしまうとその回収が不能となつて多大の損失を被る虞れもあり、被害者に対する賠償がスムーズに行われない場合も生じかねないし、第一、公平を原則とする不法行為法の原理に著しく反することになる。被害者に全額賠償をした使用者は、相手方被用者に支払能力のない場合には、自己の被用者の過失分のみでなく相手方被用者の過失分まで負担しなければならないのに、相手方使用者は自己の被用者の過失分も負担しなくて済む結果となる。このような不公平が容認されるべき理由は全くないし、民法第七一五条全体の解釈からも全然でてくるものではない。

民法第七一五条三項により、右Aとその使用者或いはBとその使用者との間では、内部的負担部分が〇対一〇〇であつても、その外部にある一方から相手方の使用者に対して求償する場合には、同条第一項が適用せられて、前記福岡地裁判決が認定する如く、請求される側に連帯責任を認めるべきである。

以上述べたように、使用者の求償義務は被用者のそれを補完し、内容的にも一体をなすものであり、使用者本人の過失が使用者に対する求償権の要件となるものではないのであつて、原判決は右の判断部分において当然破棄せられるべきである。

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